すきなコトはなあに
この間、自分への強迫観念について書いたんだけれど、私にとって本当に好きな事って何だろうって考えてみた。
結果、なし。nothingというよりnullだなあとがっかりした。
しいて言うなら家にこもってゴロゴロするのが好き。何もしないのが好き。ベッドになりたい。欲しいものもないし、猫と私がそれなりに生活をすればそれでいい。
大学や社会人になるタイミングなどで進路を悩むころ、好きな事を仕事にしたいと思っていた。だけれども生涯を掛けてしたいと思えるものも無かった。
好き嫌いを問わず社会に出てお金を稼ぐ、そしてしたいことや好きな事に金を使う。これでいいやと問題を先送りした。
そういえば動物が好きだから獣医さん・・?なんて思ったこともあるけれど、それはもう文理選択を終えた後にふと思ったくらいで、結局「どうせ無理だわ。アッハッハ」と諦めた。
例えば今からチャレンジ・・なんて想像したけれど、センターのためにもういちど勉強を始め、狭き門の獣医学部に入って、国試を受けて・・・何年かかるんだ。それまで生きているのか。きちんと働けるのか。そこまでにかけたお金(奨学金含め)をペイバックできるのか。いや、自信が無い。
今から何にでもなれるなら・・・なんだろう。職業というより家族が欲しい。悲しい時に横でティッシュを渡してくれて、一通り嘆き終わったら一緒に笑えるような。これって自分の努力で掴み取れるものでは無くて、相手ありきの事だな。
諦め癖や難しいハードルに対して、しない言い訳をするのが得意なのかもしれない。自信が無い事を「大人なのだから現実を見なくてはいけない」と何にでも言い聞かせているつもりなのかもしれない。
大学院へ行って勉強をしたいとも思っているけれど、それは研究がしたいというよりは「大学院生」という身分を手に入れて、煩わしい人間関係から一刻も離れたいという逃げなのかもしれない。つまらない人間になったものだ。
自分が何を考えているのか、何に向かって努力したいのか、何も見えてこない。雲の中で手をこまねている。時間の無駄だ。
薬を飲んでいるときは何も考えずに済んでいたけれど、頭がそれなりに戻った今となっては悩むことばかりだ。それでももう薬やお酒には頼りたくない。
こういう意味不明な悩みをこじらせると、スピリチュアル系に傾倒していくのだろうか。スピリチュアルアレルギーの私がそのうち「〇の霊が」「オーラが」なんて言い出したらどうしよう。おお怖い。