影を殺せ!!

死ぬまで抜け出せない呪いもある

バルス!!滅びよ!バルス!!!!

私が愚か者だからか、まだ自覚なく病んでいるのか、一定の間隔でおせっかい人間に介入されることがある。

 

知人に典型的なおせっかいおばさんがいる。習い事で知り合った人で飲食店を経営している方なのだけれども、もともとやたら私に絡んでくる人だった。

 

先日、その人と話していた時に、私にお店で働いて手伝って欲しいという事を言われたので、今後の進路について悩んでいて、どうなるか決めていないんで・・とやんわり断ったら地獄の時間が始まった。

 

以下私の言い訳を付け足しながら書きます。

 

 

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〇ねこすいちゃんは勉強も頑張って努力もしてきたのかもしれない、でも人のつながりがすべて。

→そうかもしれない。苦手だけど頑張りたい。

 

〇あなたは表向き「そうですね~」と柔らかく言っているけれど、内心が違うことくらいずっと見抜いてきた。今後どういう進路を選ぶにしても、どんなに成功したつもりでも同じ失敗を繰り返すのよ。

→集団生活や対人関係でタテマエを使う事はあるあるではないでしょうか。一々自己主張する方が怖いです。グループ作業もない習い事で、誰かに迷惑を掛けたことはないかなと思っているのですが、「同じ失敗」って何でしょう・・?私が何かしたのでしょうか。

 

〇どうでも良かったら言わない。ねこすいさんがかわいいし、貴女の為を思っているの。

→ありがたいのですが、心から私の事を考えるならしゃしゃり出ないで欲しかったです。

 

〇わたしはねこすいさんと違ってどんな形になっても筋を通してきた。腹が立つことも沢山あったけれども、耐えて来た。その時は腹が立っても、後から考えたら「この人と出会うためにあんな事があったんだな」と思えた。人を使うというのはとても大変な事。

→私は失礼な事をしてきたのでしょうか。これまで大したかかわりもなかったのに?隙あらば自分語り?意図が分からないです。

 

〇ねこすいちゃんのことを知らないのに、色々いってごめんね。人と助け合う努力が必要だよ。まだ先は長いから頑張って!

→知らないのに2時間近くよくお説教できましたな・・・バルス

 

 

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私は結構人間関係のリセット癖があって、というか私の事を深く知って欲しくなくて距離を置いてしまったり、介入して欲しくないし、介入したくないからある程度以上仲良くなっても私のプライベートを「興味本位に」「面白がって」聞き出そうとする人とは少しずつ距離を置いてしまう。

 

自分に実害が無ければその人がどういう人かっていう事は正直どうだっていい。けれども色んな人がいて、自分のことを沢山話したいという人もいるし、別にそれを聞くのが嫌いと言うほどアレルギーはない。

 

けれども、とくにトラブルになったり相手との違いが原因になった話を聞いている時に、「それって相手はどんな風に思ってたのかな?」とか「一方だけの話だからなあ」ということは考えながら、「そうなんですね」と相槌を打つこともある。

 

一々正論マンになって「相手は何て言っているんですか?」「その言葉は噂ですよね?証拠を提示しなさい」「相手にも発言の機会を」だなんて言ったりはしない。そこに意味も無いし。相手は真実の追及が目的ではなくて、自分の気持ちを共有したり聞いて欲しいのだと思うし。

 

お節介おばさんが言う事は一理あると思っていて、私はそういう話に対して興味がないから、どこか浮ついて見えたり上手く対応が出来てないのかも知れない。

 

それから私は「貴女のために」と言う人がとても苦手。心その言葉を使われると、人の良心や善意を聞かないと、悪人みたいに思えて心が乱れる。良くも悪くも相手にそういう印象を与えているからこそ、私への印象を口にされるのだとは思うから、それは受け止めなくてはいけないと思っていて。

 

ただ意地悪をされたり酷い事をされたり、仕事などで迷惑を掛けられたわけでもない相手に、その人格を否定するような事を言うのは理解しかねる。親ならば子を思ってアドバイスするのも分かるし、関係性によってはその感覚も理解できる。

 

でもたった週に1回を1か月未満、計3回に満たない回数しか会っていない人が、私のためにアドバイスしてくれるだなんて、よっぽど心の優しい人か、他人の人生に少しでも介入することで自分の存在意義を確認しているだけの悲しい人だ。

 

話を聞いた時には、突然雨の様に降ってきた槍に困惑したし、なんだか腹立たしくて

仕方が無かった。怒りのあまり、やけ酒をしようかとさえ思った。

 

彼女は私に人間関係がどうのこうの高尚なことを言っていても、「〇〇さんはお金持ちよね」といいながら指でお金のサインを作ってガハハと笑ったり、とてもじゃないけれど上品だとは言えない行動を取っていたことを思い出して、アァ!?と思ったりもした。

 

私も全然ダメな人間で失敗ばかりだし、恥ずかしい過去もあるから、人に対して偉そうな事は言えない。だから絶対に言わない。私の想いやりの形は、彼女とはあまりにも違う。

 

全く違う人間なんだ。可哀想な人なんだと思う事で少し溜飲が下がったけれども、それもやっぱりバルス!!!!!と言いたくなる。だってこういうタイプは今回話したことに背びれ尾ひれを付けて壊れた街宣車だかスピーカーだかみたいに周りに吹聴して回るから。

 

その人は初めに言ってくれた言葉通り、ただ人が足らないのか何なのか、その人の店で私を使いたかったのだと思う。それを私が断った事で傷ついたのではないかな。なんて思っている。

 

本当の部分なんて知らない。自分でさえ自分が分からないのに、人の事を正確に分析できるだなんておこがましい事は思ってもいない。解らないままながら、何も知らない人にギャアギャア言われると腹が立つ。

 

そんなこんなで習い事を6月いっぱいでやめることにした。

 

こんなしょうもない事で、どんどん人と関わるのが嫌になる。怖くなる。無意識に人を傷つけているのかも知れないと思うと、そんな自分も嫌いになる。何もかも嫌だ。本当にもう。

(昔の)自分を殺害したい

前向きに生きて行こうと思った。15年近く依存していた薬とも縁が切れた。というより一生もう関わらないために日々積み重ねて生きている。

 

本来なら勉学に精を出すべき時期を怠惰に過ごしてしまったけれど、いまだからこそ真面目に取り組めるだろうという自分への期待を持っていた。だから5月頃から大学院への進学を目論んで、コンタクトを取ったりガイダンスに参加している。

 

学費に生活費にと厳しいだろうけれど(だから私立はNG)これなら何とかカツカツ生活もしていけるという計画もばっちり。しかし単にその道へ進むというだけではなく、将来に繋げるための選択をしていこうとするとハードルが高すぎて泣けてくる。

 

「私乳がん患者なの!だから特例措置で〇〇の資格も〇〇の教養も免除してよ!ね!私ってカワイソウないきものだから、社会は優しくしなくちゃいけないのよ!」なんて吠えたくもなる。いや、もうカワイソウごっこは充分だし、そんな恥の上塗りは死んだってしないけれども、それくらいの気持ち。

 

もっと早くに私が自分を律して、自分の将来に対して努力をしていたら・・・

もっと早くに自分を大切にするという事を理解できていたら・・・

もっと早くに精神安定剤睡眠薬を止めていたら・・・

 

後悔ばっかり。悔やんだって何が変わるわけではないけれど、こんなに無価値で無力な人間なのだと思うと余りにも悲しい。どうしてこんな風になるまで、何も気づけなかったんだろう。正確には分かっていた事なのに、目を背けたり、被害者の自分でいることに甘え続けて来たんだろう。

 

死ぬ気でやれば0.0000001%くらいの確率で目標へ到達することが出来るのかも知れない。けれども長い年月をかけて難関資格を取って、やっとその土俵に乗れるということに対して、自分の能力や気力でカバーできる自信がない。

 

そしてそのエスカレーターに乗れなかったときの私は一体何歳になって、社会人としてのキャリアが長い間停止していて、一体どうなるんだ、なんて想像したら絶望的な気持ちになった。

 

やる気がないならやめてしまえ!そんな甘い世界じゃない!という意見も分かるし、それは私も思う。けれど自分に出来る事の範囲を超えた夢や希望を追いかけることは、美しく見えるのかも知れないけれど一方で愚かだとも思う。

 

太陽に近づきたいと願い、羽を作ったイカロスは翼を広げる事はできたけれど、太陽に近づいたや否や蝋の羽が溶けて死んでしまった。命を懸けたって叶わないことはある。

 

失った時間は取り戻せない。だから今後失う時間を少しでもなくしたい。

 

生きるだ死ぬだで悶々としているけれど、死ぬという事を意識したからこそ、私の人生の中で何か一つくらいは成し遂げないと、それこそ死んでからも後悔する。そんなのは悲しすぎるじゃあないか。

 

でも頑張る事にも限界がある。夢でしかない夢を追いかけるには年齢だって重ね過ぎている。今まで甘え切っていた私が自分に鞭を打つことだって簡単じゃあないはず。ゆっくりしたいことを考えればいいや、なんてほど時間は無限でもないし残ってもいない。

 

歯がゆくて悔しくてたまらない。酷い気分。

昔の親友

わたしにも親友がいた時期があった。小学生の頃から社会人になるまでだから、いわゆる幼馴染だ。私にとってはとても大事な友達で、何を失ってでも友達でいたかった。

 

天真爛漫で人当たりがよくて、妹気質で、守ってあげたくなるような可愛らしい子だった。

 

中学1年生の時に同じクラスになって、彼女を通して仲良しグループもできた。グループの中で他の子が幼馴染と仲良くしていると、なんだか複雑な気持ちになったりしたものだ。それでも高校・大学・社会人と進んでいっても彼女は私と仲良くしてくれたし、学校を卒業しても定期的に会っていた。だけれども本当にしょうもないことで縁が切れてしまった。

 

けれど今は関係が健全だったとは思えず、複雑な気持ちになる。

 

例えば誕生日やクリスマスに、私の稼ぎには似合わないような高額なプレゼントをした。オーダーメイドだったり一から作って貰った至極の一品を贈っていた。ご飯を食べに行く時の場所決めや予約は、およそ9割以上私が行っていたし、お支払いを私がすべて持つこともあった。パーフェクトなまでのメンヘラ貢ぎ女だ。

 

彼女がとても大事な存在だという事を、私はそういう上っ面の手段でしか表現ができなかった。話を聞いたり、困った時に手を差し伸べるという事は当たり前なのだけれど、自分の彼女に対する親愛の気持ちがいかに特別なのかという事を証明したかった。

 

そんな一方的なロイヤリティは単なる押し付けでしかない。嫌いだった母と同じような事をしていたと、今になってゾッとする。

 

縁が切れた出来事とは、ある時に彼女と遊びに行く計画をしていた。彼女とやりとりをする前日に私がおつきあいをすることになった男性がいた。そこで私が「彼に目的地まで車を出して貰うのはどうか」と言ったことで彼女がかなり激しい拒絶反応を見せた。

 

「チクワちゃんに彼氏ができたとか、どうでもいい。私はこれまでチクワちゃんのことを沢山赦して来た。遊びに行く気持ちを維持する自信が無い」という内容のメッセージで目の前が真っ白になった。どうしてだか分からないけれど、すごく悲しくて腹立たしくて仕方が無かった。

 

これまで私の家族の状況を別の子にペラペラ話した時だって、すごく嫌だったけれど文句を言ったこともなかったよ。いっぱい大変な事もあったけれど怒ったりしなかったよ。必ず遅刻してくる貴女に怒った事があった?今回だって公共交通機関がなくて、車で片道2時間半もかかる場所に行きたいっていったのは貴女だよ。私しか運転できないのに、往復の送迎はしんどいって思わなかった?

 

みたいなしょうもないことが一気に噴き出して、もう収まりきらなかった。100%好きで100%完璧なんて人がいないのは当然だし、友人に「あれ?」なんて思う事もきっとあるのだけれども、「赦して来たのに」という言葉に対して、私だって我慢してきたのに!という気持ちになった。

 

(書いているととんでもないヒステリーで悲しくなります)

 

それ以来どうなったのかは分からない。着信やメッセージの拒否をしたことだけは確かなのだけれども、薬を飲んで文句を書き連ねたメッセージを送ったような記憶もある。ただその記録がなにひとつ残っていないので、薬で飛んだ時の幻覚だったのかもしれない。

 

その時の彼女の本意は今となってはよくわからない。きちんと聞くこともせずに、より激しい拒絶で対抗してしまったというか、一方的に何もかも閉ざしてしまった。きっと話せばお互いの感覚の違いもあっただろうし、誤解もあったのかも知れない。

 

それでも今は仕方が無かったように思う。

 

私の一方的な言い分なので、これは話四分の一くらいにとどめて戴きたいのだけれど、人当たりが良くて優しくても、他所の家庭内の事、それもネガティブな事をいいふらすのは天真爛漫であっても範疇を超えている。

 

どんなに甘え上手でも、出して貰うのが当たり前になってしまうのもどうなのだろう。今の私が彼女の立場になったとしたら、固辞するか、後日何かを渡して余計に気を遣うから二度としないようにと言うかな。

 

確かによく知らない男性が参加すると楽しめないことや話せないこともある。だからこれは私が悪い。ただスケジュールを立てたり、移動手段もすべて私が担うのでは”一緒に”遊びに行くのとは違うようにも思う。

 

私は彼女の事が大好きだったし、包括的に肯定していたのだけれども、少し違うのかなあなんて思った。だから今は幼馴染に対してどう思っているのかはよく分からない。

 

何となくだけれども、向精神薬の依存と同じように、友人の存在に依存していたのかも知れない。素敵な思い出もあるけれど、違うなあという思い出もあるし、自分への反省がその100倍はある。なかなかに難しい。

 

それ以来、友達のようにご飯を食べに行く先輩はいるのだけれど、あまり深入りもしなければ自分の事も多くは話さないようにしている。解らない事だらけだ。

地獄の釜の蓋が開く

どん底の気分だ。泣き出したい。

 

砂漠のど真ん中にたった一人で立っている気分だ。水もなければラクダもいない。どちらが南で北なのかもわからない。さあどうしよう。

 

頑張らなくてはいけない。でも頑張りたくない。もう嫌だ。

 

自分にとって失った時間を取り戻せないように、どんなに望んで祈ったところで理想の両親も素晴らしい過去の上書きも手に入らない。当たり前の事だ。世の中には私よりも大変な思いをしている人も多い。でも悲しみとか孤独とか痛みって、相対的なものでは無いように思う。

 

夜は大嫌いだ。嫌な事ばかり考えて孤独が増して、このままどうか眠ったまま死にたいと思ってしまう。

 

私は何度か自殺未遂を起こしているけれど、それは死にたいという明確な目的のために起こしたというよりは、生きたくないという逃避から来ているものだ。

 

死んでもっと怖い世界に行くことになったら?誰にも喜びや優しさをあげられなかったからと地獄へ落ちたら?怖い。大好きな猫を置いていくのも寂しい。怖い。ああでも3年前に亡くなった猫が待ってくれているかもしれない。いずれは誰もが逝くところだ。遅かれ早かれじゃあないか。

 

このだだっ広い宇宙の中で、私という個体が過ごす時間も想いも、比較してみれば大したことでもないし、それこそ生きていて出来る事なんてない。生産性ゼロだ。

 

頑張ろうと思っている。掻き消えそうな火に一生懸命薪をくべて、きっといつか誰かが暖を取れるくらいあたたかい炎になるんだって思ってる。でもなんだかすごく苦しい。

 

自分のために頑張るってなんだろう。どうやったら安心した気持ちで目を瞑って眠りに入り、すがすがしい気持ちで目を覚ませるんだろう。

 

こんなこと、誰かに言う事でもないけれども助かりたい。助けて欲しい。こんな気持ちの中で死にたくない。いっぱい笑って最高に幸せな気持ちになったり、色々あったけれど本当に幸せだなあって思いながら死にたい。

 

逃げたくない。でも立ち向かうにはどうすれば良いんだろう。気力がない。

 

過去の失敗なのだけれど、自分の昔の事とか自分の気持ちを人に話したことがあった。当時の私にとって信頼できる相手だったのだけれど、相手があまり良くなかった。初めは心地よい言葉をたくさんもらった。

 

あなたは悪くないよ。どんなことも望めば手に入るよ。お薬だって生きるために必要な事なんだよ。糖尿病の人がインスリンを打つように、人工透析が必要な人の様に、あなたには向精神薬が必要なんだよ。心を補強するためのものなんだよ。なんて言われちゃって、自分を肯定して貰えることが心地よかった。

 

でも結局はその人が加入しているねずみ講に私を巻き込んだり、お金を貸して欲しい(というより巻き上げたい)という魂胆があった。あなた自身の人生をやりなおすために必要な投資だよと言われ、愚かすぎる私はホイホイお金をだしてしまった。ちなみにその会社はその後1年もしないうちに潰れた。潰れたというよりは状況から計画倒産の様な気がする。

 

自分の気持ちもお金にもダメージを受けて、二度と人に付け込まれまいと自戒した。心が弱っている時には甘い言葉に縋ってしまうし、狭い世界で生きているからそこしか頼みの綱がないように思えてしまう。私は精神薄弱なのだから、リアルな世界での私と過去を切り離すようにしようと決めた。

 

ねずみ講の話を聞くと「バカみたい」なんて口にはするけれど、恥ずかしすぎて自分が引っ掛かったとは決して言えない。消し去りたい過去だけれど、バカな自分を戒めるために忘れてはいけない気がしている。

 

だから私に対して優しい人も怖い。私はプライベートがあまりに無味無臭で人に話すことが特にないだけなのだけれど、彼氏の話をしないとか交友関係や趣味を話さないから、プライベートを詮索したがる人もいる。でも本当に話すことが無いし、立ち入って欲しくない。

 

「なぜ彼氏を作らないの?」なんて聞かれても「人が苦手なんです」なんて言えば「なぜ?」と聞かれるし、「興味がない」と答えても「変!そんなはずない」みたいな反応が返ってくる。

 

それが何故か変な噂になって、実は不倫をしているんじゃないかとか、なんかもうとんでもない話が出回っているなんて耳にしたこともあった。馬鹿らしい。建前と本音、なんていうけれどズカズカ踏み込んできているのは何なんだろう。ムラ社会の名残なのか。放っとけ。

 

 

そういえば私が自殺未遂をしたときに、母に「生きる事は苦しい事。誰だって苦しんでいるんだよッ!」って叱責されたことがあるのだけれど、それならばそんな苦行を子供に与える親は何なんだよ!?なんて思った。でも一理ある。すごく苦しい。

 

もう生きるのが嫌だ。頑張って何を掴もうとしているのかもわからない。少なくとも今はどんなにお金を貯めていたって、どうせ手術や治療でお金は飛んでいくし、治療が終わったところで幸せに近づけるものでは無い。

 

時間や仕事や社会人としての立場としてマイナスになることばかりなのに、絶対値ゼロに戻すまでにもっともっともっともっと頑張らなくちゃいけないんでしょう?海の底から這いだしたいのに、海溝にどんどん落ちて行っているのに、「水面に出れば美しい太陽が出ているかもしれませんね。わかりませんけどね。」なあんて言われたら、もうこのまま海の藻屑になってしまったほうがよっぽど楽じゃあないか。

 

かといってそれを実行できない弱虫の私がいる。本当は希望をいっぱい持って前向きに進みたい。でもそれを裏付ける明確な理由とか根拠は何もない。信じる力を試されているのかも知れないけれど、これまで散々期待や思いの通りにいかなかった私に、どれほどの力があるというのだろう。買いかぶっちゃあいけねえよ。もうライフは残っちゃあいませんよ。

 

神様でも仏様でも悪魔でも良いけれど、私がきちんと生きて行くための方法があるなら教えてみよ!とふんぞり返りたくなる。(ねずみ講新興宗教も詐欺もダメ、ゼッタイ)

すきなコトはなあに

この間、自分への強迫観念について書いたんだけれど、私にとって本当に好きな事って何だろうって考えてみた。

 

結果、なし。nothingというよりnullだなあとがっかりした。

 

しいて言うなら家にこもってゴロゴロするのが好き。何もしないのが好き。ベッドになりたい。欲しいものもないし、猫と私がそれなりに生活をすればそれでいい。

 

大学や社会人になるタイミングなどで進路を悩むころ、好きな事を仕事にしたいと思っていた。だけれども生涯を掛けてしたいと思えるものも無かった。

 

好き嫌いを問わず社会に出てお金を稼ぐ、そしてしたいことや好きな事に金を使う。これでいいやと問題を先送りした。

 

そういえば動物が好きだから獣医さん・・?なんて思ったこともあるけれど、それはもう文理選択を終えた後にふと思ったくらいで、結局「どうせ無理だわ。アッハッハ」と諦めた。

 

例えば今からチャレンジ・・なんて想像したけれど、センターのためにもういちど勉強を始め、狭き門の獣医学部に入って、国試を受けて・・・何年かかるんだ。それまで生きているのか。きちんと働けるのか。そこまでにかけたお金(奨学金含め)をペイバックできるのか。いや、自信が無い。

 

今から何にでもなれるなら・・・なんだろう。職業というより家族が欲しい。悲しい時に横でティッシュを渡してくれて、一通り嘆き終わったら一緒に笑えるような。これって自分の努力で掴み取れるものでは無くて、相手ありきの事だな。

 

諦め癖や難しいハードルに対して、しない言い訳をするのが得意なのかもしれない。自信が無い事を「大人なのだから現実を見なくてはいけない」と何にでも言い聞かせているつもりなのかもしれない。

 

大学院へ行って勉強をしたいとも思っているけれど、それは研究がしたいというよりは「大学院生」という身分を手に入れて、煩わしい人間関係から一刻も離れたいという逃げなのかもしれない。つまらない人間になったものだ。

 

自分が何を考えているのか、何に向かって努力したいのか、何も見えてこない。雲の中で手をこまねている。時間の無駄だ。

 

薬を飲んでいるときは何も考えずに済んでいたけれど、頭がそれなりに戻った今となっては悩むことばかりだ。それでももう薬やお酒には頼りたくない。

 

こういう意味不明な悩みをこじらせると、スピリチュアル系に傾倒していくのだろうか。スピリチュアルアレルギーの私がそのうち「〇の霊が」「オーラが」なんて言い出したらどうしよう。おお怖い。

ヒトの価値

アピールポイントは資格を取ることや、見識を広めるために映画や美術を見たり本を読んだりし続けている事です。

 

・・・弱い。弱すぎる。こんなのでは就職面接で落とされてしまう。

 

これは育った環境ではなく、性格の弱点なのだろうけれども過度に人と比べてしまうところがある。

 

例えば美人なAさんがいるとして、その人に対しては学歴や保有している資格を引き合いに出して、「この人より下ではない」なんてほっとしてしまう。

 

逆にモデルさんのような容姿ではないけれど、優しくて仕事のできるBさんに対しては、自分の方が痩せている事を根拠に「この人よりは下ではない」なんて。

 

どうしてこんなに比べるのかというと、結局自分に自信がないからなのだ。

 

別に勝ってるとか劣っているなんて誰も気にしていなくても、いつだって自分が比べてしまうから苦しい。自分の首を絞めているのは自分なのだ。

 

でも自分にすこしでも価値があると思えないと、生きている意味合いも見いだせないし、自分がどうにもならないカスで辛い。宇宙に漂うデブリみたいだ。

 

誰も気にしてくれなくて、あってもなくても同じなのであれば、もう頑張りたくないぞ。消えたいぞ。苦しみの中からいずれ希望を手に入れるなんて、そんなものはもう信じたりしないぞ。と、こじらせまくりなのだ。

 

資格を取ることを、勉強が好きなのねとか頑張り屋さんなのね、と褒めて貰えることがある。これはとても嬉しい言葉なのだけれど、私にとっての勉強はは強迫観念のひとつでしかない。

 

同じくして体型維持をしているね、という言葉もだ。痩せるとか体型の維持をするというのは多くの人にとって結構難しい。だから毎年毎年「〇〇ダイエット」みたいなものが流行っては消えている。私は過食嘔吐をする、または拒食をすることで維持しているのだけれども、カラクリを知らない人からすると偉業を成し遂げているように思ってもらえる。

 

別に勉強は好きではない。ダイエットが趣味でもないし、ファッションセンスが良くておしゃれが好きだという事もない。ぶっちゃけ、どうでもいい。

 

それでもひとつでも価値を上げなければどうにもならない。価値のない私なんて認められないし、価値のない私は存在する意味がない。

 

人の価値ってどんなところにあるんだろう。いや、「価値」なんて言い出す時点で間違っているのだろうか。

何のために生まれて来たのか?

私が5歳くらいの頃、父に「何のために生まれて来たのか考えながら行動しなさい」と言われたのを覚えている。かなり鮮明な記憶なので、きっとその一回ではなくて度々言われていたのだと思う。

 

父は哲学オタクでもあり、家庭内不和が顕著になったころ(私が小学生くらい)には仏教にのめり込んでいたので、新興宗教まではいかなくてもそういう思想に頼るところがあったのかも知れない。職場でも家でもモラハラを連発して常に人を傷つける側だった父も、結局は弱い人間だったということなのだろう。

 

それで私は「なんのために生まれたんだ?」という疑問を持ちながら生きてきたのだけれど、今でも全く分からないし、そんなことを考えると頭がおかしくなりそうになる。

 

私の人生って何だったの?

 

大学生の頃に友達とお遊びで見て貰った占いでは、あなたにはタレント性があるとか人気運があるとか、お金には困らないとか、めちゃくちゃに褒めちぎられた。教祖にでもなれるのでは?いやす芸能人か?なんて夢想してしまうほどの褒められっぷりだったけれど、現実はどうだ。

 

別にお金も無いし(投資で失敗したし・・・まだ引きずっている。いい加減切り替えたい)地味な一般人だし、がんになるし、過去にはろくでもないことが起きていたし、どこがだよ!?と怒りたくもなる。

 

桃源郷に住むようなすばらしい未来を信じてきたつもりだけれど、何故か小さなアパートで貧乏暮らし。なんだ。私の人生まるっと詐欺に遭ったような気分だ。

 

そうはいっても自分の人生や未来は他力本願にすべきものでもない。自分の努力で変えて行くものだ。気持ちが変わらなくても行動から変えて行けば、きっと道はひらかれる。

 

・・・いや、それって本当に?

 

それなりに、その場で可能な程度に努力をしてきたつもりなのだけれど、結果の出ていない努力って努力じゃないのだろうか。

 

オリンピックで1位じゃなかった人以外は「努力が足らなかった」なんて言うけれど、その人にとっては人生を掛けて頑張ってきたことだ。どうして努力が足らなかったなんて言うんだろう。悲しいじゃないか。

 

(2位じゃダメなんですか!?という某議員のネタ振りではないけれど・・なんだかそんな雰囲気になっちゃった)

 

お酒に逃げた事、精神安定剤に逃げた事は人生の汚点だし、無駄にした時間やお金や人との繋がりは悔やんでも悔やみきれない。しかしその時間は戻ってこない。

 

「失敗を認め、受け入れたら人は変われる」なんて言うけれど、私は一体これからどうすれば良いのだろうか。自分では猛省しているし、二度と失敗したくなくて断薬、断酒も破っていない。当たり前のことがやっとできただけでか、改善しているとは思えない。

 

いまからハイソサエティの人間になりたいなんて大それた事は言わない。なれたら嬉しいけれども。

 

ただ誰かに「貴女に逢えてよかった」って思われたり、「この人に逢えて本当に良かった」と心から思い、思われたいというのはまだまだまだまだ未熟すぎる私にはハードルが高いのだろうか。


なかなか人を信じられないのだから、どうにも人との繋がりに対して期待をするのは無理か。だから同居する猫をずっとずっと大切にしたい。

 

人間なんて全く分からない。ただただ自分の矮小さと無力さに愕然とする。

 

ひっくり返ってわんわん泣きながら「ママ~!!!バブバブ~!!!」なんて騒いだら、3歳くらいに戻れて、優しいママが現れて、テストでいい点を取ったら褒めてくれて、結果なんて関係なくヴァイオリンを演奏したらニコニコしながら聴いてくれないだろうか。

 

ああ涙が出て来た。頑張ろう。。