影を殺せ!!

死ぬまで抜け出せない呪いもある

(昔の)自分を殺害したい

前向きに生きて行こうと思った。15年近く依存していた薬とも縁が切れた。というより一生もう関わらないために日々積み重ねて生きている。

 

本来なら勉学に精を出すべき時期を怠惰に過ごしてしまったけれど、いまだからこそ真面目に取り組めるだろうという自分への期待を持っていた。だから5月頃から大学院への進学を目論んで、コンタクトを取ったりガイダンスに参加している。

 

学費に生活費にと厳しいだろうけれど(だから私立はNG)これなら何とかカツカツ生活もしていけるという計画もばっちり。しかし単にその道へ進むというだけではなく、将来に繋げるための選択をしていこうとするとハードルが高すぎて泣けてくる。

 

「私乳がん患者なの!だから特例措置で〇〇の資格も〇〇の教養も免除してよ!ね!私ってカワイソウないきものだから、社会は優しくしなくちゃいけないのよ!」なんて吠えたくもなる。いや、もうカワイソウごっこは充分だし、そんな恥の上塗りは死んだってしないけれども、それくらいの気持ち。

 

もっと早くに私が自分を律して、自分の将来に対して努力をしていたら・・・

もっと早くに自分を大切にするという事を理解できていたら・・・

もっと早くに精神安定剤睡眠薬を止めていたら・・・

 

後悔ばっかり。悔やんだって何が変わるわけではないけれど、こんなに無価値で無力な人間なのだと思うと余りにも悲しい。どうしてこんな風になるまで、何も気づけなかったんだろう。正確には分かっていた事なのに、目を背けたり、被害者の自分でいることに甘え続けて来たんだろう。

 

死ぬ気でやれば0.0000001%くらいの確率で目標へ到達することが出来るのかも知れない。けれども長い年月をかけて難関資格を取って、やっとその土俵に乗れるということに対して、自分の能力や気力でカバーできる自信がない。

 

そしてそのエスカレーターに乗れなかったときの私は一体何歳になって、社会人としてのキャリアが長い間停止していて、一体どうなるんだ、なんて想像したら絶望的な気持ちになった。

 

やる気がないならやめてしまえ!そんな甘い世界じゃない!という意見も分かるし、それは私も思う。けれど自分に出来る事の範囲を超えた夢や希望を追いかけることは、美しく見えるのかも知れないけれど一方で愚かだとも思う。

 

太陽に近づきたいと願い、羽を作ったイカロスは翼を広げる事はできたけれど、太陽に近づいたや否や蝋の羽が溶けて死んでしまった。命を懸けたって叶わないことはある。

 

失った時間は取り戻せない。だから今後失う時間を少しでもなくしたい。

 

生きるだ死ぬだで悶々としているけれど、死ぬという事を意識したからこそ、私の人生の中で何か一つくらいは成し遂げないと、それこそ死んでからも後悔する。そんなのは悲しすぎるじゃあないか。

 

でも頑張る事にも限界がある。夢でしかない夢を追いかけるには年齢だって重ね過ぎている。今まで甘え切っていた私が自分に鞭を打つことだって簡単じゃあないはず。ゆっくりしたいことを考えればいいや、なんてほど時間は無限でもないし残ってもいない。

 

歯がゆくて悔しくてたまらない。酷い気分。