離れ離れてストレス
PCが壊れてしまった。謎の変換は調子が悪かったせいなのかもしれない。
コロナ禍だったこともあってやっとPCを手に入れた。
<余談>
投資で大損をした。コロナで馬鹿みたいに下がった保有株の損失を取り戻そうとして、むちゃくちゃな投資を行った結果、とんでもないことになってほうぼうの体で逃げ出したところだ。
実体経済と株価(特に指数とか225とか)の乖離はそもそも当たり前で、これだけコロナで影響を受けている企業も多ければ、来期以降の見通しが立っていないという会社も多い。それでも今のバカみたいな上げ方はなんなのだ、なんて思う。結局需要と供給みたいなものだし、カネ余りを起こしている今は余計にでもお金が流れ入るのだろう。
資産のほとんどを失い、それだけで自殺の要因になりそうな程バカな勉強代だったが、収入を大切にしてきちんと生きて行くことへの教訓だと思うしかない。
残ったお金でA5ランクのブランド肉を食べた。総ての損失をお肉代だと思う作戦に出たという訳である。(どうやらギャンブラーあるあるらしい)
美味しい・・・美味すぎるが高い・・・高すぎるお肉代・・・ご褒美でもないくせに・・・いや、今から絶対変わるんだ・・・もう投資なんてしないぞチクショー!!なんて半泣きで噛み締めた。
<余談おわり>
あれから何かが変わったと言われると何も変わってやしない。日々何とか頑張って生きよう、ここから少しでも良い自分に改善していくんだという気持ちと、それなりに生きて行くにはどれだけの努力が必要なんだろうというゾッとする気持ち、どう、なにを頑張ればいいと言うんだという苛立ち、頑張りたくないという甘えとがせめぎ合っている。
未だに変態教師の事は夢に見る。家族や通行人をニヤケ面で斬殺しながら、私を追いかけてくる。私は一生懸命逃げるのに、夢あるあるで走っても走っても前に進まず、飛び起きてしまう。
変態教師が母の頭をナタのようなものでカチ割った夢を見た。ひどくグロテスクであり、まるで現実に起こったかのようなリアルさで初めて過呼吸を起こした。
夢は記憶の整理だとか深層心理だとか欲望の権化だとかいうけれど、もしかしたら私は母に死んでほしいと思っているのではないかとも思い暗澹とした。また未だにそんな夢を見るなんて、私は実のところその時に自分が「被害者」という立場だったことを快感としているのではないかとさえ思う。
当時の私を檻の中の囚人と例えると、今の私は開け放たれた檻から自由に外に出られるというのに、中にとどまって相変わらず文句を言っているだけのような気もする。
今の私はもう大人だし、自立しているし、危難も去った。前向きにとか、将来の事を
とか、明るく生きるための要素がそろっていると思う。
それでも、どうしても、怖い思いをするのではないかと怯え、人に対して信頼の気持ちを持てない。最低な人間だと思うが、私にとっての良い人は、優しいとか心が落ち着くというよりは都合の良い人なのだと思う。
困っている時に話を聞いてくれる人が居たとして、それはすごく有難いし感謝すべきことなんだけれども、問題が直接解決するものではない。人に話すことで新しい視点を得たりすることで解決につながる事もあるので一概にそれを馬鹿にはできないのだけれど、多くの場合は武力や経済力によって解決することが多いと思っているから。
それから仕事なんかで同僚や上司との会話なんて9割9分9厘どうだっていいことだ。プライベートがどうだとか、〇〇さんはむかつくとか、もうほんとうにガッデム!という感じ。でもそれに合わせていないと村八分にされてしまうから、適当に合わせる。
仕事なんて自分の業務をこなす場所、活動だっていうのに、社内営業みたいなものが多すぎる。会社という小さいコミュニティのなかで自分が有利に立ち回るために、思いとは全く違う言動をする事は日常茶飯事だ。
だから私の想いという曲線と行動という曲線で合致するポイント見つからない。むしろ乖離が起きる事に対して、いつだって嘘を吐いて生きて居るような気がして、それがまたとてつもないストレスになる。
(私の株価は常に値が決まっていないというイメージ。気配だけうろうろ。ああもう投資の事なんて考えたくもないのに!)
そんなことを繰り返していれば自分の想いに対して疑心暗鬼にさえなったりもする。自分が嫌われたくないから、楽に仕事をしたいからという理由で決めた行動は、自分の責任ではあるのだけれど、まるでそう強要されているかのような気分になる。
せめて一生分遊んで暮らせるお金が手に入ったら・・・家に引き篭もってほとんど人と会わずに・・・ああ大学院へ行ってちゃんと勉強したい・・・はあ。。。
(結局投資の損失のダメージから回復できていない)