影を殺せ!!

死ぬまで抜け出せない呪いもある

3.血と骨みたいね

今日は穏やかな風が吹いている。

 

こんなことを書くのは大雨雷雨暴風雨の中、メガネにPCの画面を映しながら、取り憑かれたような表情をするに限るのだろうけれど、今日のお天気はなんだか荒んだ気持ちを中和してくれる気がする。

 

それはそれとして、このパソコンはもう三年以上使っているというのに、本当に学習能力0で参ってしまう。「取り憑かれる」も「鶏疲れる」と変換するし、そのくせ「~している」は「~して居る」と妙に時代を感じる漢字遣いにしてくれる。

 

わたしを文豪にでもしてくれるのか。金を生む鶏になってくれるのか。期待だけが膨らむ。

 

三回目だが、私の青春は北野武監督作品みたいな日々であった。箇条書きでまとめておこうと思う。

 

◎私、高校進学

・父、家を出る

・変態教師、我が家に入り浸る(生活の拠点が我が家になる)

チンパンがDVを始める

・母、ぶん殴られて前歯が吹っ飛ぶ

・実は両親が離婚していたと聞かされる

・父、彼女を作る

・私、隠れて精神科に通い、向精神薬に溺れるようになる

・強い睡眠薬で寝る私を、変態教師が日常的に襲うように(性的な意味でも)

毎日DVのお祭りが始まる

◎私、高校3年生

・DV祭りに耐えきれず警察に通報するも無能警察は誤報として処理

 →しかしチキン変態教師はビビって家を出て行く(高校3年の10月)

 

という感じ。

 

父とは定期的に会っていたが、家を出て行ってすぐのころは「私は子供である君のためにこれから生きて行く。」と熱っぽく語っていた。しかし稀代のウッカリ☆モラハラ君ゆえに、そんな約束などものの三か月くらいで破られることになる。「付き合っている人がいるんだ」じゃねえよ。うっとりしちゃってさ。

 

何度か父に「家に転がり込んできたゴミ教師が暴れて困っている。体を触られたり、ぼこぼこにされる」という事を伝えた。性的な事について全ては言えなかった。一応まだ恥じらいみたいなものがあったし。

 

その時の父の反応は「今は社会的な立場があり、自分がアクションを起こすことで取引先や社員に迷惑を掛ける。引退したら必ず敵を討ちに行くから今は我慢してくれ」と苦しそうに言った。これがまた10年以上経っても守られることはなかった。黙り損。

 

そうは言っても家にお金の供給が絶たれたことはなかった。両親の離婚についても、どう考えても母が有責だというのに、父は慰謝料も取らず養育費や生活費もかなりの額を送ってくれていた。良い人なのか悪い人なのか、やはり判断が付き兼ねる。

 

変態教師は真夜中に部屋へ夜這いするようになり、私は初めてを失う。一度だけ抵抗したことがあったのだが、ぶん殴られながらベランダへ引きずられて「抵抗するならここから落とす。精神薬を飲んでいるから警察だって自殺だと思うだけだ。今後抵抗したら殺す。」と恐ろしい事を言われ、戦意を喪失したわたしは更に睡眠薬を飲んで、何もかもから逃げ出すようになった。

 

怒りで興奮したチンパン教師が顔を紫にして、肩で息をしている情景は強く焼き付いている。煙草を吸っていて少し浅黒い肌が赤くなるから、まるで青タンの様な紫色になる。その顔を見ながら何度も殺されると思った。何度も包丁で刺し殺そうと思ったけれど、そのたびに自分が殺人を犯すことも出来ない小心者だと思い知った。

 

いつか父が変態教師に復讐をして、苦しみぬいて世界中から嘲笑われながら自殺をするまで追い込んでくれることを夢見るのが精いっぱいだった。

 

のちにナイスな機転を利かせた私が警察に通報した。私の部屋で大暴れをして、部屋の中に台風かハリケーンでも来たんですか?というほど荒らされた。私も母もボコボコにされていよいよ命の危険を感じたからだ。

 

しかし警察に対して母が「この娘は精神薄弱で薬を飲んでいるんです。喧嘩はしたんですがね。大袈裟なんですよ。すんまそ」と誤報扱いにするよう要請し、ばか警察はあざだらけの私を見のがし三振。「大丈夫そうだね」と言い残した。これが大丈夫に見えるなら目玉はどこについてるんだよ。ハリケーン・リタ級の大災害が18歳のJKの部屋にピンポイントでやって来るなんてマトモじゃないでしょうよ!税金返せ!

 

鼬の最後っ屁で、警察官に向かって変態教師の名前を連呼したことがきっかけになったのか、大学のセンター試験まで1か月を切った頃に変態教師は家を出てていったが、しかし過ぎた時間は何も戻らない。

 

私は16歳の頃に心療内科に掛かって、初めはデパスあたりを処方されていたのだけれども、次第に強い薬に依存するようになり、今から10年前の事だけれども、心療内科とか精神科を標榜する病院を複数回っては、沢山の薬を手に入れるようになっていた。

 

たかだか小さな錠剤だ。こんなものに何が出来るというくらいの小ささ。けれどそいつをシートからばきばき取り出して大量のポカリスエットで飲み下せば、20分後には何にも怖いものがなくなる。

 

親和性の高い薬を飲めば、落ち着くというラインを通り越して世界中に愛をばらまきたいくらいの気持ちになった。どちらかと言えば冷めていて可愛げのない学生だったが、とたんに饒舌になって人なつこいキャラクターにも変身できた。

 

言い訳をすれば毎日が辛かった。身内の恥を言えなかった。助けを求める先も無くて、ふわふわしていないと死にたくてたまらなかった。でも合法とは言え向精神薬を乱用したのは事実だし、最も後悔している事の一つでもある。

 

大学への進学先を決めるときに、私は地元・実家に残る事を決めていた。というのも首が折れたんじゃないかというほど強く張り手をくらったり、前歯を折られたり、顔に青あざをつくった母を見ていたから、自分がいなくなったら母が死ぬんじゃないかと真面目に思っていた。

 

随分甘ったれた考えだったし、自分だって夜中に部屋に入られて体を好き勝手にされていたけれど、それでもなんだか母を見捨てる気持ちになれなかった。きっと、最後の私の良心が燃えていたんだと思う。どんなにお馬鹿でも、考えが至らない恋愛体質女でも、母が大好きだったから。

 

変態教師が出て行ってしばらくして母からは別れたと聞いたが、私が帰宅すると彼のものがあったりしたので、すぐに完全には手が切れていなかった様子。しかし私が大学一年生の時に変態教師が婦女暴行事件を起こしたことで状況は一変。流石に手が切れた。

 

 どう書いていいか分からなくてお遊びな書き方をしたけれども、とても苦しかった。どこかで自分はここに居ないと思ったりして、やり過ごしたこともあったけれども、体は痛いしむちゃくちゃな気分だった。何より誰にも助けてはもらえない、だれもこの状況を変えられない、だったら薬でも飲んでやり過ごすしかない。

 

自分の意志で何かが変えられたのか。きっと児童相談所や高校の先生にでもぶちまけていれば、私の身は助かったのかも知れない。ただ当時まだ虐待だとか家庭内の問題ってそこまで取りざたされることもなくて、さらに警察ですら民事不介入でDVを積極的に摘発するような時代でも無かったからそれすら不確かだ。

 

それに私一人の身が助かったとしても、当時私の祖父母や親せきの家にまで出入りしていた変態教師が私のアクションひとつに激高して、それこそもっと大きな被害を出していたかもしれない。私の当時の懸念材料の一つだった。

 

それから私が性的な被害を受けている事が世間に知られたら、一体どんな目に遭うんだろうというのが一番大きな問題だった。悪性腫瘍があるという診断がなければ隠して生き続けていたし、やっとこうやって書けたと言っても匿名でこそこそと書いているに過ぎない。

 

本当に、一体どうしていれば今の私が「普通の幸せ」を手に入れられたのか分からない。

 

過去の事も含めて人を愛することが理想だとしても、大好きな人に自分の過去を知られて嫌われるのが怖い。言えないけれど、そういう経験が自分を作って来たのは事実。自分でさえ、こんなに時間が経っても持て余しているものを人に持ってもらうなんて図々しい事は頼めない。大好きな人ならなおさら。