影を殺せ!!

死ぬまで抜け出せない呪いもある

2.ダブル・クソジジイ

本当にまずいという時に、人間って泣いたり怒ったりしない。考える余裕もないから。

 

よく作品では「ギャー!」「やめて!」なんて金切り声を上げたり、目がナイアガラの滝みたいに涙を放水する場面があるけれど、私の場合は息をするだけで精いっぱいだった。

 

美談の様に「子供はお空から親を選んで生まれてくるんだヨ♡LOVE&PEACE」みたいな文言を目にすることがあるけれど、もしもね、そんなことがあるのならば私はとんでもない馬鹿をやらかした。

 

子供の出生はとんでもない確率で起きる事だけれど、その明暗を分ける強大な力を持って居るのは親たちだ。私が生んでくれと頼んだわけでもなくて、それなりの手順を踏んで受胎しているのだから、「私を選んでくれたのね♡可愛いMy baby...」みたいな気持ちの悪い事を言わなくても良いと思うんだよね。

 

脱線は此処まで。

 

母の不倫に気付いたのは小学校5年生、もしくは6年生だったと記憶している。相手は当時私が師事していたヴァイオリンの教師だった。

 

教師が大してかかわった事のない私の父のことを、「いくじなし」だとか「金を稼ぐ以外に能のない男」なんてやたらと悪く言うようになった。初めは「え?」という感じだったのだが、例えば「コンクールの時に来もしない」「優勝しても祝いもしない」なんて現実に即したdisになると、私自身もどんどん疑心暗鬼になってくる。

 

お父さんは私に興味がないから来てくれないんだ。毎日ぶっ叩かれたり、練習しないからって友達と交換したシール帳やプロフィール帳を引き裂かれたりしたんだけどな。何のために私は楽しくもないヴァイオリンを弾いてるんだろうねェ。なんて憂鬱にもなっていった。

 

そして母と教師と私の3人でしょっちゅう食事にいくようになったことも不信感に拍車をかけた。小さい店舗で「お父さんとお母さんの仲が良くていいね」なんて大将に言われたこともあって、その時に母も教師も否定しなかったことも何だか変だった。

 

極めつけは母が夜に出かけていくようになったことで、鈍感な子供の私にも違和感を裏付けるに十分だった。

 

沢山の変化が訪れた。その変化は次第に父にも伝わり、母が行方不明になった夜は、母を探しに行くと息巻いた父に車で連れまわされた。思い当たる場所はあったのだけれども、ついぞその場所を教えることは無かった。きっと母は教師と一緒に居るだろうから、とんでもない修羅場になるだろうという予測の下に。

 

父には同情したけれど、彼だけの肩を持つ正義マンにはなれなかったのである。

 

決して父は悪い人間ではないと思う。血がつながっているという色目を抜きにしても。だた人の気持ちをナチュラルに無視して無下にする天才…生きる天災であることは間違いが無くて、そのことで仕事に於いても軋轢を生んできたという事は事実としてある。

 

簡単に言うと自分以外の人に対して、気持ちに寄り添ったり思いやりを持てないタイプだ。悪意なく自分の考えを他者に押し付け、良かれと思って居るだけに、その反応が気に入らなければ攻撃してしまう。

 

映画の「葛城事件」という作品を見た時に、父親役が私の父そっくりで驚いたので、伝わりにくかった方は見て欲しい。

 

両親のキャラクターについてはまた改めて書きたいのだけれど、そんなこんなで私は母の肩も父の肩も持つに至らなかった、が、どちらにも良い顔を使い分けるようになった。父には母を心配する私を、母には父に対して迷惑をしている私を演じることで、二人から優しい言葉を掛けて貰えるようになった。とても気持ちが良かった。

 

顔を合わせたくない両親から伝書鳩として使われるようになって、面倒だなという気持ちが無かったわけではないのだけれど、それよりも父からも母からも必要とされている事に安堵した。二人ともが私を自分の陣営に引き込もうと、おべっかを使ったり気を引こうとしてくるのがとてつもなく嬉しかった。

 

だから嘘も結構吐いていた。伝書鳩になったときに言葉のニュアンスを少し歪曲したり、あとは自分が悪くて怒られたことについても被害者ぶってみたりして、片方に怒られれば片方に慰めてもらって、いつだって私は被害者ヅラできていた。

 

そしてそんなクソにもならない生活は、中学2年生の夏に悪い意味で更に変わっていく。

 

ヴァイオリン教師が、コンペティション前だったということもあり我が家に来ていた。というより、彼はこの頃すでに父の居ない時には我が家によく入り浸っていた。

 

レッスンの休憩時間に練習室でゴロ寝していた私は、奇妙な感じがして目を覚ました。お尻で何かがこすれている。それがどうやら性行為まがいだということは直ぐに理解した。

 

混乱して泣いてしまうという事はなくて、逆に頭がすっきりした。明確に声を出してはいけない、寝たふりを続けなくてはいけないと思った。ただ鼻の奥がしびれた。ぎゅうっと目を瞑るとか震えるなんてことも無かった。ただ全く関係ないことを考えて、その場をやり過ごした。

 

そしてわたしの下着に液をぶちまけて、何事も無かったかのように部屋を去った教師は、その後のレッスンも滞りなく執り行った。軽口を飛ばしたり、笑いながら。とんでもない神経をした人間もいるものだ。

 

そして随分悩んだけれども、私はその下着を証拠として母にチクることにした。出来れば母と教師には別れて欲しかったし、流石に母も目を覚ましてくれると思ったのである。

 

しかし母の反応は私の思っていた物と違った。一通り傷ついた姿勢を見せたけれど、結局はその事をうやむやにしたばかりか、証拠品を廃棄し、変態教師に怒りをぶつけ、勝手に大喧嘩を繰りひろげ、勝手に仲直りし、変態教師からの電話を私に取り継いだ。

 

「俺とお前の母親が別れることになったら、お前の母親は自殺するけれどもそうしたいのか。死なせたくないよな。なら二度とこの話はするなよ。」

 

ほんとうはもっと過激な脅し言葉だったのだけれども、こういう感じ。電話を見守っていた母は懇願するような目をしていた。「ね、いい子だから。おとなしくして」という。だから私は口を噤んだ。

 

もう手元に証拠はない。これじゃあもう駄目だ。

 

自分が生まれてきたことがそもそもの選択ミスだとして、それは回避不可能なものだ。けれどもこの選択ミスは回避できた。初めから警察に駆け込めば…と書いたが大正義警察くんも全く頼りにならないことが後に判明する。