影を殺せ!!

死ぬまで抜け出せない呪いもある

父親、おとうさん、パパ

コロナウイルスの蔓延で、日に日に実体経済の弱体化や混乱を実感している。また有名人の感染も報道されたり、コロナウイルスに感染し発症してから驚くほどのスピードで亡くなっている方も決して少なくはない。

 

普通にお昼が来て夜が来て明日が来てなんて思ってしまっているけれども、そんなことは何も当たり前じゃないんだなと思う。だからと言って大きく気持ちが変わる事がないという残念さ。ただ人に迷惑を掛けないように家で過ごしている。

 

 

私は父親と縁を切って、というか一方的に決別してもう数年になる。両親が離婚して、私の親権は父親が持った。何故かというと扶養控除のためだ。ちなみに母が有責なのだが調停もなく手続きを終えたらしい。私は母と一緒に住んで居たので実態と手続き上は異なっていた。

 

「あなたのお父さんは決して扶養控除のために、親権を取ったわけじゃないのよ」なんて思う方もいるかもしれないが、もしそうだとしたら

 

・なぜ私がSAやDVを受けている事を知っていながら、社会的なことを優先して表ざたにしないように言われたのか

・いつか変態教師に責任を取らせると言って希望を与えておいて、十何年そのことをすっかり忘れているのか

・離婚後の父母の住まいは徒歩15分程度と近かったので、距離や引っ越しの問題ではなかった

・離婚後すぐに彼女を作った上にキラキラ報告をしたのはなぜか

・私の知らないところで勝手に結婚していたのはなぜか

 (しかも結婚相手には連れ子が居たので、戸籍上の兄弟姉妹ができた。会った事もないのに) 

と反論にキリがない。

 

と怒りのぶちまけをしているのだが、私は母が大好きだったのと同じくらい父の事も大好きだった。父は働き者で、私が起きるよりも早く職場へ向かい、私が寝る頃になって帰宅するくらい多忙だった。一緒に遊んだ思い出は少ないけれども、小さい頃には一緒に絵を描いたこともあった。理屈っぽくて自分勝手で気分屋でちょっと面倒くさい父親だなあと思いつつも、それはそれとして私にとっては名実ともに唯一無二の父だった。

 

かっこいいお父さんって父親参観ですごく人気だった気がする。運動会で親子参加の競技で活躍するスポーツマンタイプのお父さんとか。私の父は決してそういうタイプではなかったけれども、仕事ができて頭が良い自慢の父親だった。

 

母が恋に溺れたときに、父も見たくなかったんだと思う。家に帰らなくなったこともあったし、別の場所に家を借りて一時的な別居をしていたこともあった。気持ちは解る。自分が同じ立場ならきっとすごくつらい。今だからその気持ちを想像することは出来るけれども、それと幼い頃・未熟な頃の私が深く傷ついたことを赦す…というか、「しょうがないネ★」と流すことは別の事なんだ。

 

父の気持ちに理解を示すことは出来るけれど、私が親なら子供の事を一番に考える。それは今の私だから言えるのかも知れないんだけれども。

 

でもね。自分が辛いから家に帰らない、見たくないから別の場所に家を借りちゃう、転がり込んできた間男に実子がぶん殴られたり性行為をされていても知らんぷりできる、というのはどうしてもおかしい。

 

父の事が大好きだった。できるならすべての期待に応えたかった。ヴァイオリンの習い事について父は興味も関心も無かったけれども結果を残したし、学校の成績も悪い方ではなかった。読書感想文コンクールでも絵のコンクールでも習字でも症状を貰っていたし、学級委員や役員会もしていて恥じる程の娘ではなかった・・・はず。多分。

 

でもお父さんは私を認めてくれることは無かったと思う。私の被害者意識でそう見えているだけかもしれないけれど、私の感覚ではそう思っている。親子間には無償の愛というものがあると聞くけれど、私と父には無償の愛なんてキレイなものは無かったのかもしれない。

 

自分に落ち度があると思えないまま(気付けなかったまま)父は新しい恋人を作って結婚をして、相手の連れ子と旅行へ行ったりしていた。私とは行かないのに。置いてけぼりにされたと思ったし、自分が何よりの頼みの綱や希望にしていた「いつかお父さんが無念を晴らす」なんて言葉も忘れられた。

 

それらはとてつもない憎悪になってしまった。大好きだったから自分を曲げてでも従った、その結果がこれかよ。そんな気持ちがどうしても消えないし、父に対する思いは未だに自分でも扱いきれていない。二度と会わないつもりの父を恋しく思う日もあれば、苦しみぬいて早く死んでくれと腸が煮えくり返る日もある。

 

そういえば両親の離婚後、まだ学生だった頃に月に1度父に会う日があった。しかし父に会うとその後は体調をよく崩していた。甘えたい、優しくされたいという気持ちと憎しみの気持ちでめちゃくちゃになっていたんだと思う。

 

私は父からも母からも離れて、その後は何とか向精神薬を絶つことができた。まだ摂食障害を克服できてはいないのだけれど(このあたりはまた別の機会に書かせて欲しい)関わっていると、どうしても父に期待をして、叶わない現実に激怒していた。それが減ったというだけでも今は安定している。

 

心から大好きで、だからこそ憎い。対極にある感情のように思えるかもしれないけれどこれは表裏一体だ。

 

いつか和解するのか、したいと思っているのかというと、かなり不透明ではあるのだけれども、二度と会うことは無いと思う。私が父のもとを去った時にそういう覚悟だったという事もあるし、関わるという事は相手に期待があるからだ。

 

例えば目の前に獰猛ないきものが居たとして、普通は近づかない。だって殺されるかもしれないから。それでも近づくとしたら、鎖でガチガチに縛られているとか、絶対に自分に被害が出ないような環境や状況が整っているという前提が必要だ。

 

けれど父親の”感情”や”行動”は鎖で縛りつけられるものでもないし、動きを封じればどうにかなるケモノとは違って、言葉や仕草だけでも私にとっては凶器となり得るからだ。

 

悲しいけれども近づくだけで不幸になる相手は存在する。